2011年11月05日
四間道
「四間道」と書いて、「しけみち」と呼びます。

円頓寺商店街のHPにも書いてありますが、
「元禄13年(1700年)、円頓寺付近から出火し、
1600余軒が燃えてしまったことから、
藩が防火対策として堀川端の問屋筋の裏を拡張し、
道幅を4間にしたところから四間道と呼ばれた。」
そうです。

古い蔵のようですが、レストランです。

四間道は、堀川沿いにあります。
「堀川は、豊臣恩顧の福島正則を中心に20の大名が普請を命じられ、
商家の玄関は,物資の集散を行うため堀川に向かい,土蔵が家の裏手に作られました。
しかし、四間道は1700年(元禄13)の元禄の大火で1649軒の町屋と15の寺社が焼失してしまい、
尾張藩4代藩主の徳川吉通は、商家の焼失を避けるために
堀川沿いにある商家の裏道幅を4間(約7m)に拡張しました。
このことから四間道(しけみち)といわれるようになりました。」
これは、名古屋港のHPから引用しました。

四間道の案内図です。

円頓寺商店街のHPにも書いてありますが、
「元禄13年(1700年)、円頓寺付近から出火し、
1600余軒が燃えてしまったことから、
藩が防火対策として堀川端の問屋筋の裏を拡張し、
道幅を4間にしたところから四間道と呼ばれた。」
そうです。
古い蔵のようですが、レストランです。
四間道は、堀川沿いにあります。
「堀川は、豊臣恩顧の福島正則を中心に20の大名が普請を命じられ、
商家の玄関は,物資の集散を行うため堀川に向かい,土蔵が家の裏手に作られました。
しかし、四間道は1700年(元禄13)の元禄の大火で1649軒の町屋と15の寺社が焼失してしまい、
尾張藩4代藩主の徳川吉通は、商家の焼失を避けるために
堀川沿いにある商家の裏道幅を4間(約7m)に拡張しました。
このことから四間道(しけみち)といわれるようになりました。」
これは、名古屋港のHPから引用しました。
四間道の案内図です。