2011年11月27日
濃尾平野は海だった
今から約6千年前温暖期を迎え、海面が今よりも5mほど高く、
一宮から岐阜あたりまで、海だったようです。
その後、木曽三川からの土砂の堆積により、徐々に陸地となり、
弥生時代には、桃色の部分が陸地となりましたが、
緑色の部分は、相変わらず海でした。
青色の部分は江戸時代に干拓により陸地化したところです。
つまり、濃尾平野は、陸地になってまだわずかの年月しかたっていないので、超軟弱な地盤なのです。

このような軟弱地盤は地盤沈下が進行して、海抜ゼロメートル以下の土地や、

地震が起きた時に、非常に揺れやすい土地となって、
名古屋駅周辺も含めて、防災上大変心配な地域となっています。

一宮から岐阜あたりまで、海だったようです。
その後、木曽三川からの土砂の堆積により、徐々に陸地となり、
弥生時代には、桃色の部分が陸地となりましたが、
緑色の部分は、相変わらず海でした。
青色の部分は江戸時代に干拓により陸地化したところです。
つまり、濃尾平野は、陸地になってまだわずかの年月しかたっていないので、超軟弱な地盤なのです。

このような軟弱地盤は地盤沈下が進行して、海抜ゼロメートル以下の土地や、

地震が起きた時に、非常に揺れやすい土地となって、
名古屋駅周辺も含めて、防災上大変心配な地域となっています。
